IQが20違うと会話が通じないの?
正式なデータはないけど、その傾向はあるかもしれないね
双方に分からないところが分からないのでしょうか?
禅問答みたいですね。
どちらかに合わせるのは難しいのでしょうか
みんなの意見を聞いてみましょう
IQとはどのようなもの?
IQとは人の知能レベルを数値化して示す「Intelligence Quotient」の頭文字をとったものです。IQは100を基準値(中央値)とし、IQの数値が大きいほど「能力が高い」、低いほど「能力が低い」ということになります。一般的には、下記のように言われています。ちなみに日本人の平均は「105」です。
- IQ110以上:知的発達が進んでいる
- IQ90〜110:普通
- IQ90:知的発達が遅れている
110以上が「IQが高い」、さらに120〜129で「優秀」、130以上で「きわめて優秀」と呼ばれています。130以上の人の中でも、先天的に知能や学習能力が高く、他と比べて一部の才能が突出している人のことを「ギフテッド」といいます。
IQ134の人の場合、IQ114以下の人は大よそ社会の80%強に該当します。IQ20違うと会話が成立しないとしたら、その人は20%の人としか会話が成立しない事になります。少し寂しいですね。
忙しいあなたも、耳は意外とヒマしてる – audiobook.jp会話の成立が難しいと思う人の意見
高IQ側の人が「会話は、成立しません。但し、会話の成立を拒否しているのは、高IQ側ではなく、一般人側であることが圧倒的に多いと思います」との意見があります。
“話が合わない” という意味合いの違い
一般的な人 | 性格が合わない、反りが合わない |
高IQの人 | ・自分の日本語が間違っているかもしれない 自分のアイディアが頓珍漢なものかもしれないという恐怖感 ・相手の「何言ってるの……?」という不審な目 ⇒ 自分の話し方が悪くて理解されないと思い、疲れてくる |
上表のように、高IQの人は話が理解してもらえないという事で自分を責めたり、相談相手もいないので1人で悩んだりしています。また、人によっては、説明の全責任を高IQ側に押し付け、「本当に頭のいい人は平易に説明できる」と吐き捨てるような態度をとることもあります。
ネットのリプライで多分高IQ側ではない人から、「頭がいいから嫌われていたのではなく、頭ごなしに否定するから嫌われていたのではないかと邪推します。もし、“皆を助ける頭のいい人” だったら嫌われるでしょうか? 高IQの人は常に『自分は正しい』という立ち位置で物を考えます。実際正しいのですが、人間関係では必ずしも正しい訳ではないのですよ」とのコメントがあり、常に上から目線を受けているというプレッシャーがあるようです。また、同時に高IQの人に対しての嫉妬?や苛立ちを感じますね。
同様に、“お前がそんなに頭がいいはずはない” などといわれると、もう会話が成り立ちません。こういうのは、自分より賢そうな人に敵意をむき出しにする人に多いです。
マウントを取りたい人でしょうか。
何か常にマウントの取り合いをしているような感じですね。多分、高IQの人はマウントを取りたいのではなく正しいことを知りたい、発言したいだけだと思うのですが…。
マイナビふるさと納税マジョリティとマイノリティの軋轢
別の見方として、これは高IQの人ですが「世の中の人たちは話せばわかると思っている人が、多数のようです。異常な私から見れば、ちゃんと話が通じていないと思えるケースも、全部伝わっていると勘違いしているように思えます」と話が通じるというレベルの違いを感じています。
また、この意見が代表的な見解かも知れませんが「いわゆる普通の人には、“人はそれぞれ違う” ということが理解しにくい。マジョリティとマイノリティの軋轢(あつれき)かな」と数の論理で理解できない人は知らないうちに排除する傾向があるのかもしれませんね。個性の尊重はよく言われていますが、現実には難しく掛け声だけかもしれません。
MLB大谷翔平選手の奇跡
マジョリティとマイノリティの関係からすると、大谷選手は特異例で奇跡に近い存在ですね。
多くのマジョリティから2刀流は、不可能だ、特にMLBのような厳しい環境では成り立たないと酷評されていました。それを、監督・関係者との入念な打ち合わせと実績を積み上げることにより、唯一無二の2刀流選手になりました。
目の前で繰り広げられるマイノリティの奇跡に誰もが認めざる負えなくなりました。大谷選手の今までのご苦労と、今後の変わらぬご活躍を祈ります。
至極がもたらす、至福のひととき。blissful coffee(ブリスフルコーヒー)会話がうまくいくケースもあるようで
知的障害福祉の仕事をしているIQ125の方のお話です。利用者の平均IQは70です。「知的障害を持つ人たちは語彙力が少ないと感づいているので、相手が自分の言葉を補填してくれることに抵抗がないようです。わたしが相手の意を汲みとる努力をすることが前提で、会話を楽しんでいます。
一般的な人たちと利用者との会話は難しそうです。相手の意を汲みとる努力をせずに、言葉だけで判断する会話になるようで「ちょっと何言っているかわからない」とムキになってしまうことも、しばしばあります。IQが20程度違う人とIQが50程度違う人との会話成立については、興味深い話ですね。
相性がよくてIQ差があるというのはよい組み合わせ
また、違う話を紹介します。
知能障害の中学3年生の男の子は “99の次が100になるのが分からない生徒” でした。
高IQの人は、桁が上がるとは何かを深く考え、教え方を工夫しました。そうすることで強い信頼関係が生まれ、その子にとっては初めて先生との深いコミュニケーションが取れたようです。
その経験から、逆にIQの差がある程度あった方が、コミュニケーションは取れるのではないかと思います。当然、相性の問題はありますが、相性がよくてIQ差があるというのはよい組み合わせです。
それまでの普通の先生は彼がなぜ99の次が100にならないのかを理解できなかったために、彼のことを軽く虐待していたようです。普通の人は自分の能力が足りないことを、相手の能力不足のせいにして、自分を正当化する傾向があります。
正直、難しい問題になると、一般の多数派の方々の方が常識バイアス(偏見)が頭を持ち上げ課題解決に繋がらないケースはありますね。本当に難しいですが…。
まとめてみると
<コミュニケーションの度合い>
マジョリティ層の一般人とマイノリティ層の低IQの人と高IQの人とのコミュニケーションは必ずしも良くないようです。逆に、不思議とマイノリティ層同士の低IQの人と高IQの人とのコミュニケーションは良さそうです。非常に興味深いです。
どうもネックになるのは、マウント云々の感情にあるのかもしれないですね。IQ20の差というよりも、要らぬ感情を持ち込み始めるところは、どこかという問題かもしれないです。
それに、一般の人はマジョリティ層であるため、相互の理解は行いやすく仲間も多い。ある意味、マイノリティ層を除外することもやりやすくなります。だからこそ、難しいかもしれませんがマイノリティ層を尊重して、少しでも相互理解ができるようにしていきたいですね。
もしかすると大谷選手のように、みんなに夢を与えてくれる存在になるかも知れません。